トライアングラー

「今日のご飯何にしよっかなぁ」
 千鳥かなめは雑誌をめくりながらひとりごちた。反対の手ではチラシの裏になにやら数式を書きなぐっている。
 そろそろ暖かくなってきたのもあって長い髪を無造作にまとめ、キャミソールとショートパンツという実にリラックスした格好だ。
《ミズ・チドリ、米国国防総省からメールが入っています。
 そして豆腐がもうすぐ賞味期限です。麻婆豆腐などはいかがでしょうか》
 無機質な声が続き部屋の奥から聞こえる。かなめは特に驚きもせず、手を合わせた。
「あっそうだった。久々に中華もいいわね、ありがとアル」
《恐縮です。茄子が一本残っているようなので麻婆茄子豆腐もよろしいかと》
 アル━━かつてAS《レーバテイン》に登載されていたAIが更に言う。
「そうね。この際、もやしもいれてみよっかな。ソースケ、豆腐だけじゃ物足りないよね」
《肯定です》
「そうそう、アル、あんたがこないだ言ってた新しい体のことなんだけど」
 言いかけたところで、かなめは小さな物音に玄関の方に顔をむけた。
 外から帰ってきた相良宗介がむっつり顔でたっている。
「おかえり、ソースケ」
《ご無事の帰還なによりです、軍曹。今日は中華です》
 二人の声がそろって迎えて、彼は渋面になる。かなめに言われるのは無論いい、だがこのAIはどんどん調子に乗っている気がしてならない。妙にかなめと意気投合しているし、認めたくないが自分より順応が早い気さえする。
「…ただいま」
 ディパックを無造作において、内面の忸怩たる想いを押し込る。
「ちょうどよかった。ソースケ、ボン太くん、一個ちょうだい」
 汗ばむ中から帰ってきた彼に麦茶をつぎながら、かなめは飴玉をねだっているかのような口調でいった。
 彼女のいうボン太くんとは、宗介が資産運用の一環で強化服として売り出しだが全く売れなかったものだ。
「ん?一体か?ほら、前売れ残ってるっていってたじゃない。まだ在庫あるんでしょ?」
「あるが…なぜだ。千鳥が使うのか?」
「あたしなわけないでしょ!アルの体に使おうかと思って。あれ、ASの機能結構使ってたから、イチからつくるより早いしさ、ちょうどいいかなって。かわいいし」
 それを聞いた宗介はくわっと目を見開いた。麦茶のコップを握る手がブルブルと震えている。 「な、あれにアルをのせると…」
「乗るとことってコンパクトにしたらかわいくない?アルの本体はのらないかなー?その時は遠隔で操作すればいいか。移動するときも荷物扱いで便利でしょ。アルにも使いやすい二足歩行だし。我ながらいいこと思い付いたわー。
 もちろんボイスチェンジャーのバグは直しとくから安心して」
《なるほど。名案です。さすがミズ・チドリ》
 でっしょー、と彼女は先ほど落書きしていたチラシの裏━━設計図だったらしい、をアルに見せた。といってもノートPCのカメラ越しだ。
 アルとかなめはそれを見ながら、あーだこーだと仲良く細部について話し出した。
 突然、がしゃんと大きな音がして、かなめは振り返り、異様な雰囲気に息を飲んだ。
「ソ、ソースケ?」
「だめだ…それは」
 宗介はテーブルに置いたコップを握りしめたまま静かにいったが、有無を言わせぬ迫力があった。
「なんでよ、どうせ余ってるんでしょ?いいじゃない」
「千鳥はわかっているのか…!あのふもふもが生意気なことばかりベラベラしゃべるようになるんだぞ!しかも自由に動けるようにしてみろ、こいつはなにをしでかすかわからん!」
「……」
 悲壮感すら漂う彼にかなめは目をしばたかせる。
━━━こいつ、ボン太くんに武器搭載しといてなにいってんだ。
「い、いやーでもさぁ、このまま冷蔵庫サイズ持ち歩くの大変じゃない。アルもかわいそうだし」
「かわいそう?それがこいつの手なんだ、騙されるな千鳥」
 そこまでいう…いつにない宗介の強情な姿に二の句が継げない。
《軍曹殿、私が動き回れるようになるとなにか不都合が?》
「当たり前だ!お前のことだ。ろくでもないことをしでかすに違いない」
《心外です。私に体があればミズ・チドリの護衛も安心できるでしょう》
「必要ない。千鳥の護衛は俺がする。お前は千鳥の演算の手伝いやカロリー計算だかをしてればいいんだ」
《それは浅はかというものです。私はどんな体も使いこなす自信があります。それに私ならあなたが護衛できないところも可能です》
「どこだそれは」
《そうですね、たとえば風呂場だとか、女子トイレとか》
 かなめは赤面し、宗介は激昂した。
「━━━それがろくでもないというんだ!」
 やれやれとかなめは呆れて、冷蔵庫から挽き肉と豆腐を取り出した。こうなると長いし、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。大体、宗介もAI相手にむきになって大人げないと、おかしくなる。
 彼女が料理している後ろで、飽きもせずに舌戦は続けられている。
《軍曹殿、ご安心を。私の映像データは共有すると約束します》
「お前というやつは…!今度こそ機能停止させてやる。俺の強化服は絶対に渡さんからな」
 彼の頭のなかでボン太くんがかなめの風呂やトイレを覗いたりする光景が繰り広げられる。
 ほとんど涙目の宗介の前に大盛りの麻婆茄子豆腐もやしをもった皿をおいて、かなめは手をふった。
「あーハイハイ!二人ともうるさい!おしまいおしまい!ソースケ!ご飯よ」
 む、と宗介は自分でもばつが悪かったのか、大人しく席につく。
「もーわかったわよ。あたしが悪かったわよ」
 心の底から息をはいてご飯やスープ、付け合わせの蒸し野菜サラダなどを並べていく。
「千鳥が悪いわけではない。こいつが…」
《ミズ・チドリの案は名案かと思われます。軍曹は頑なすぎです》
「なんだと…」
「それ以上やるとご飯なしよ」
 再び二人が睨みあったところで(もっとも片方は機械なので雰囲気だが)、かなめが低い声で宣言する。
 宗介は慌てて口をつぐんで、白米を掻き込んだ。


 かなめは乳白色のお湯につかって頭を抱えた。
 あーあー、いい案だと思ったのに。いっそ犬のぬいぐるみにでもしちゃおうかな。
《ミズ・チドリ、おくつろぎのところ失礼します》
 脱衣場においた非常用の無線機から男の声が聞こえて、物思いに耽っていたかなめは思わず両手で肩をおおった。
「なんだ、アルか。ビックリした。どしたの?こんなとこで」
 宗介はアルをうるさがるが、かなめはわりと親近感をもっている。たった二人の生活だし、宗介は日常の愚痴相手には向かないから、世間話や相談を気楽にできるのがうれしい。AIのほうが世間話をできるというのもどうかと思うが。
《明日からはミズ・チドリと二人で話す機会がしばらくないので、驚かせてしまい恐縮です。先ほどの件ですがどうにか軍曹を説得できないかと思いましてご相談を》
「前もいったけどかなめでいいわよ。ごめんね。まさかソースケがあんなに愛着持ってるとは知らなくて」
《いえ、予想はしていました》
「そうなの?」
《肯定です。私は軍曹の全てを把握する義務があります。私が察するに軍曹は》
「なによ?」
《私とあなたの仲に嫉妬しているのではと推察されます》
「嫉妬ぉ??」
 あのソースケが?嫉妬?しかもAIに?
《肯定です。ミズ・チドリ、あなたをファーストネームで呼ぶことを軍曹は許さないかと》
「えー…そう?」
 かなめは首を捻った。ソースケがそんな人並みの神経持ち合わせてるかなぁ。
《だからこそ例の強化服を私は諦められないのです。》
「全然繋がりがわかんないんだけど」
《つまり、私があの外観であれば、彼にとって好ましいと感じているミズ・チドリとあのマスコット両方に囲まれることになり、彼の気持ちも和らぎ好意的になるのではないかと》
「…そうかしら」
 はなはだ疑わしい顔でかなめはこめかみをもんだ。
 それなら焚き付けるようなことを言うなと言いたい。
「でも肝心のソースケが譲ってくれないんじゃあねぇ。犬はどう?ふわふわでかわいいやつ」
《私は体をなくしたとはいえ歴戦の戦士です。愛玩動物など侮辱です》
「……」
 あーめんどいやつら!かなめはうんざりしてお湯からあがった。
「ま、あんたの気持ちはわかった。もう少し考えるわ」
 しっとりとした白い肌を露にして、かなめはタオルを手に取る。理想的な健康体から湯気が立ち上った。
《よろしくお願いします。私も陰ながら熟考します》
「あんたはいいわよ、ソースケじゃないけどろくなことにならなさそうだもん」
 軽口をたたきながら、長い髪をタオルではさんで乾かしていると
「━━━アル!貴様なにをしている!」
 がばっとドアが開いて宗介が血相を変えて入ってきた。
「……」
 硬直する空間。
「━━━っなに勝手に入ってきてんのよ!あんたわぁぁぁ!」
 小気味のいい乾いた大きな音が響いた。


「痛いではないか」
 宗介は頬を押さえてベッド脇のカーペットに座り、拗ねたようすで不満を呟いている。
 かなめは彼の隣に腰かけた。といってもスプリングの上だ。頭のつむじがかわいいなと思ったが、それは口に出さなかった。声になったのはいつもの憎まれ口だ。
「いきなり入ってくるからよ」
「不審な声がしたのだから当然だ」
「アルってわかってたじゃないの」
 冷ややかにいってやると、宗介はまだ入っていると思った、としゅんとする。
 アルの言葉が気になったわけではないが、かなめは顔を覗きこんだ。
「アルのこと嫌いなわけじゃないんでしょ?」
 宗介はかなめの視線から逃げるように顔をそらす。
「そういう問題ではない。あいつは…」
「機械って?ウソ、ソースケ、アルをただのAIとかと持ってないでしょ」
 宗介は言葉につまる。彼はアルに命を救われた。端からみてもただのAI以上の気持ちをもっているのも明らかだった。
「あんたたちっておっかしい」
 かなめはくすくす笑った。
「む…」
「犬が縄張り争いしてるみたい。あたしの今までの苦労が少しはわかった?」
「…俺はあんな余計なことは言わん」
 笑いすぎて、目尻にたまった涙をパジャマの裾でぬぐう。
「自覚ないとこもそっくり。
 かわいーじゃない、アルはあんたに好かれたいのよ」
「意味がわからん」
 宗介は憮然とした後、ややためらった後口を開いた。
「…千鳥、君はアルに体があったほうがいいと思うか?」
「んー?そっちのがソースケも楽かなっておもっただけ。あたしアル好きだし」
「…そうか」
 どことなく肩を落とした様子に、かなめは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あーやっぱり妬いてるんだ」
「ち、ちがう」
「ソースケってば子供ができたら子供相手にむきになっちゃうタイプだったりして」
 宗介は今度こそ真っ赤になる。
「そそそそんなことはない!」
「冗談よ、じょーだん」
 ぱたぱたと手を振って、かなめはベッドに寝っ転がった。大きく伸びをするとポツリと小さな声が聞こえる。
「…俺もアルに新しい体は必要だと考えている。
 アルは単体でラムダ・ドライバが使える唯一のAIだ。存在が明るみにでると色々面倒が出てくるかもしれん。
 本体は早めにどこか安全なところに移した方がいいだろう。だから体にしてもなるべく目立たない方がいいと思う。
 …せめてもう少し無駄口が減ればいいのだが」
 人の苦労も知らずに、といつものぶっきらぼうな口調に、常にピンと伸びた背中。
 ━━━昼間あんなに悪態ついてたけど、なんだかんだでちゃんと考えてたんだな。
 かなめは驚いてボサボサの後頭部をみつめた。思えば彼はいつも大真面目だから、考えてないわけがない。
 アーバレストやレーバテインのようなラムダドライバ搭載ASを設計することは今の彼女にとって容易い。だが、アルを作ることは恐らく不可能だと思っている。アルにはあまりにも不確定要素が多すぎる。アルの創造主、あったこともない彼のように人間を心から信じることは、かなめにはおそらくできない。アルは唯一無二のAIなのだ。
 宗介はどこに行っても常にアルを隠すための場所を探している。かなめはかなめで、世界一知られているウィスパードなため、どこで狙われるかわからない。
「あたしとアルと気苦労がたえないわね、軍曹殿」
 からかうように言って後ろ頭に寄りかかった。
「何をいう!君のことをそんな風に思ったことなどない」
 宗介は振り向こうとするが、首に腕を回されて阻まれる。かなめは頬に顔をよせてささやいた。
「わかってる…ありがと」
 宗介は照れ隠しのように、こめかみのあたりをかいた。
「君の力を借りないといけないのは確かだ。…迷惑をかける」
 なんだ、結局、相思相愛なんじゃない。
 ボン太くんがラムダ・ドライバを発動させているところを想像して小さく吹き出した、その時━━━━
「大丈夫だ。君にだけ負担はかけない。大佐殿にも話はしているので心配はいらない」

「━━━へぇ、そう…」

 なにそれ、聞いてないし。いやいや、テッサの方がアルに詳しいし長いし、そりゃ意見を求めるよね。当然よね、はははのはー。
「…ち、千鳥?」
 一瞬前まで風呂上がりの芳しい匂いにつつまれたいい雰囲気だったのに、急速に背中が冷え冷えしてきたのを察して、宗介はうろたえた。
 休戦中に敵の奇襲を告げる警報が鳴り響いた時のように、事態が飲み込めない彼の全身に脂汗がだらだらと流れ始める。しかし、ここで何かを言うと火に油を注ぐことは経験上明らかで、それは正しかった。
 不穏な空気は収まる気配がなく、暗雲が漂い始める。
 大体なんで謝るわけ?それってあたしは関係ないってこと?あたしには話も振らなかったのに、テッサには相談してたんだ、ふーん。どーせアル2号を設計したもう一人のウィスパードも一緒なんでしょ。
 あのミラという子も、電話で話しただけだが、絶対宗介に気がある。わかってないのは本人だけだ。
 なんなのよ、どいつもこいつもソースケソースケって。むっつりネクラ戦争オタクのくせに、あっちこっちでホイホイホイホイ。
 天然タラシもいい加減にしろよ。
 アルだってなんやかんや言うが、結局は宗介が一番な訳だし。
 そう思ってしまうと今まで意識していなかったのに、テッサの時とも林水の時とも違うもやもやしたものが込み上げてくる。
 多分それは宗介が対等に口喧嘩をしてあるから。声が女だったら痴話喧嘩にしか聞こえないに違いない。まるで自分達のように。
 ━━━妬いてるのは私の方ってこと?
 そんなわけない、相手はいくら特殊でもただのAIじゃないの、うはははは…
 無性にイライラしてきて、知らず知らずのうちにかなめの腕に力がこもる。
「ちどり…まて、本気で…きまってる…」
 不可解な思考の飛躍に、どこまでも理不尽で不条理な怒り━━━八つ当たり、を宗介に理解できるはずもなく、薄れゆく意識のなかでただ一つはっきりしていることは、今日の寝床は久しぶりに馴染みのベッドの下であろうことだけだった。


 ━━━数日後
 廊下に出て電話していた宗介が喜色を浮かべて帰ってきた。
「千鳥、喜べ。ベアールから強化服の注文が来たと連絡が来たぞ。
 もう代金は振り込まれているようなので発送を指示した」
「……そ、そう」
 かなめは部屋の隅の武骨なユニットをとろんとした横目で眺めた。
 視線の先は沈黙している。《彼》は今テッサの用事で留守(?)にしている。このタイミング、確信犯に違いない。
 ━━━全てを把握する義務とかいってたけど、まさかそこまでとは…
 それには気づかず、宗介は何やら納得した顔で頷いている。
「うむ、口コミでじわじわ広がっているに違いない」
「送り先、確認したほうがいいかもね…」
 銀行口座もね、とは心の中でだけ付け加える。
 数日後に繰り広げられるであろう修羅場を思い浮かべて、深いため息と共にかなめはディスプレイを閉じた。