約束のバースディギフト

「ほう、相良くんの誕生日は七夕なのだね」
 白皙の生徒会長が覗き込んでいたファイルから顔を上げずにいった。
 なぜ彼が生徒の個人情報を当然のようにチェックしているのか、疑問に思うものはこの学校にはいない。
 え、とかなめは議事録を清書をしていた手を止める。書記の蓮の仕事だったが、彼女は今日は家の用で帰ったので、かなめがかわりに請け負ったのだ。
「もうすぐだね。彼とパーティの組み合わせはいささか物騒だがね」
「ほ、ほんとですよねえ!あいつ、パーティとかいったらテロリストの集会としか思わないんじゃないじゃないかしら」
 うわはははとわざとらしく笑い飛ばす。
 彼女はよくみるとあちこちに絆創膏がはってある。一週間前の物騒で不本意な夜遊びのせいだった。これでも大分減った方だ。
 そして、彼の世界を目の当たりにした。北朝鮮ではなにが何だかわからなかったが、この間は違った。彼女の暮らしている、日本で、東京で、買い物をしたことのある普通の場所で宗介の本当の言葉の意味を知った。
 巨大なAS、銃を当たり前のように使う姿。
 彼はああいう世界で生きてる。かなめたち日本の普通の高校生とはまったく違う人間なのだ。
 さらには同じ歳だとは思えない妖精のような可憐な上司の言葉。
『お互いがんばりましょう』
 などいわれても、かなうわけがないではないか。彼女は宗介と同じ職場で、同じ世界にいきている。しかもあんなにかわいい。
 敵う?なんで?あたしには関係ない
 あれから何度も同じ問答を繰り返してもやもやしている。
 でも、誕生日か。
 来年があるかなんてわからない。
 やっぱり、お祝いくらいしてやるべきだろうか……変じゃない……よね。ご近所なんだし……どうせよくご飯食べてるんだし、生徒会副会長だし、学級委員だし……。
 かなめは鉛筆を握ったまま考え込む。宗介を誘うための正当な理由を一生懸命探していることには気がついていない。
  その様子を見ていた謎多き生徒会長は、興味深そうな表情を浮かべたが、さりげなく眼鏡の縁でそれを隠した。


 そうめんとちらし寿司、から揚げ、汁物などを並べると、宗介が感嘆の表情を浮かべた。箸で星形の人参を挟んで、まじまじと眺めている。
「……今日はなにかの祝いの日なのか」
「七夕っていって、年に一度だけ織姫と彦星が天の川はさんで会えるって日なのよ」
「なぜそれがめでたい日になるのだ」
「うーん……?恋人同士が年に一回会える日なんてロマンチックじゃないの。願い事もするし」
  言われてみれば、詳しいことはよくわからなかった。あとで調べてみよう。
「よくわからんが、そういうものか」
  宗介は彼なりに納得したようで、唐揚げを頬張った。その瞬間、目が輝く。
  一度食べ始めると止まらなくなったようで、宗介の箸が絶え間なく動きだした。実に気持ちいい食べっぷりで、かなめは気分がよくなる。自分で作った食事を誰かが喜んでくれるというのは純粋にうれしかった。
「たくさんあるからゆっくり食べなさいよ」
 あきれてかなめは言ったが聞こえていないようだ。
 自分も唐揚げをとりながらもじもじと切り出した。
「そ、そういえばソースケ、今日誕生日なんだってね。言えばいいのに。お祝いしてあげないこともないわよ。おかず増やすぐらい大した手間じゃないし」
 別に意識することじゃない。普通に言えばいい。それなのに銀色の髪がちらつく。
 しかし宗介はきょとんとしている。
「誕生日・・・・・・?生まれた日のことか?」
「他になにがあるのよ。林水先輩がいってたわよ、7月7日なんでしょ?」
「ああ、それはカヴァーストーリーだろう」
「どういうこと?」
「潜入任務に合わせた偽の個人情報のことだ。そう少佐が偽造したのだろう」
 少佐というのは確か先週会った大柄のロシア人のことだった。
「ぎぞう???嘘ってこと!?」
「嘘というか、まあ、そうだ」
「なんですってーーー!」
 この数日の緊張感は何だったのだ。かなめはすべてが馬鹿馬鹿しくなった。
「まさか、名前も偽名なの?」
 ぎょっとして思わず大きな声がでた。宗介は彼女の剣幕にたじろぎながらも首を振る。
「いや、本名だ。この国に俺の戸籍はないから問題ないだろうということで」
「なーんだ、よかった」
 つい口からでてかなめは慌てる。
 人生の中で最大といっていい修羅場を潜り抜け、日常生活でも多大な迷惑をかけられているのに、本当の名前さえ知らなかったら自分が惨め過ぎる。
 ――――あの子と比べて。
「戸籍の問題なら誕生日だけ嘘じゃなくてもいいじゃない」
 むくれて見せると、彼は少し困惑した顔を浮かべた。
「・・・・・・そうかもしれんな」
「じゃ、本当はいつなの?」
 宗介はなぜか押し黙っている。かなめは胸がムカムカしてきた。目の端がぴくぴくする。あっそう、そんな簡単なことも言えないわけ。
「あーあれね、はいはい。君には知る資格がない、でしょ」
「いや、そうでは・・・」
「もーいいわよ、別に・・・・・・興味ないし」
 かなめは踵を返し、乱暴な足取りでキッチンに向かった。
 戦場育ちの宗介は七夕なんか知らないだろう。かといって、そうめんじゃお腹はみたされないだろうと、ご馳走を仕込んでいたのが、バツが悪くて仕方がない。
 誕生日さえ教えてもらえない関係なのに、なにをはしゃいでいたんだろう。 

 かなめの機嫌とは関係なく、宗介はしっかり完食して宿題まで済まして帰っていった。
 一応笑顔を浮かべて見送ってかなめはリビングに戻る。認めたくないが、彼が帰ったあとは部屋が広く感じるようになってしまった。
「・・・・・・うその誕生日ならあげなくていいわよね」
 かなめは隠しておいた綺麗にラッピングされた包みをつまみ上げた。彼女なりに一週間悩んで、クラスメイトの風間にこっそりミリタリーショップの場所まで聞いて買いに行ったものだったのだが。
 彼女はそれを、宗介から押し付けられた護身グッズを詰め込んである引き出しをあけて放りなげた。
「ほんとの誕生日を教えてくれたらあげるわよ、バーカ」
 我ながら強がりの言葉だとわかっていた。引き出しを荒々しく閉める音が誰もいない部屋に響いて消えた。



「……ほんととかうそとかどうでもよかったのに」
 かなめは日本から遠く離れた土地で、たった一人で呟いた。
 びっくりして喜ぶ顔がみたかっただけなのは自分でもわかっていたのに。
「あたしが一番ばかだわ」
  バルコニーからはいってくる風が、ベッドに腰かける彼女の長い髪をゆらした。
  もうあれから一年になろうとしている。あのままプレゼントのことは忘れてしまって、かなめの誕生日に彼がラピスラズリをくれたときに思い出した。今さらいつ渡すべきかと悩んでいた他愛もない日常が、信じられないくらい遠い。
  今なら、あの時宗介が沈黙した理由をしっている。
 なぜ素直に彼は知らないと言えなかったのだろう。かなめと距離がさらにできるのが怖かったのだろうか。傍若無人に見えて変なところで臆病なのだ。
「バカ……」
 あの頃、彼の世界が遠いものだと思っていたのに、本当は自分の方が異端だった。彼にあんな顔を向けてしまったのに、かなめとかなめの日常を守ろうと宗介は命を懸けていた。
 いつもいつも後から後悔する。いつだって求めていたのは単純で簡単なことだった。
 ミスリルが完全に崩壊したことを彼女は聞いている。宗介が信頼していたカリーニンは裏切っていた。今日、庭で彼はいつものように淡々とアームスレイブを解体を指示していた。あれはきっとミスリルのアームスレイブなのだろう。校庭でアーバレストが、宗介が、ぼろぼろになっていく光景がうかんで瞼を閉じた。
 手も足もでないような、絶望の底に沈んでいる気がする。

 かなめは立ち上がって無駄に豪華な洗面台で勢いよく顔を洗った。

 相良宗介は生きている。
 だから、信じてる。違う、知っているんだ。
 必ずむかえにくる。ちんたら鈍い牛なんかじゃなくて白いASにのって。
 それがあのバカなのだ。
 それまでに自分ができることをする。
 あたしは足手まといなんかじゃない。理不尽な『敵』にはいつだって反撃のチャンスをあきらめないのが千鳥かなめなのだ。

  かなめは唯一与えられたノートPCをにらみ付ける。一年前のもやもやの原因であった少女と同じ髪の色をもつ男の顔がかぶる。これを与えたことを後悔させてやる。

 そしてあの場所に帰ろう。

 渡しそびれたプレゼントはまだあの部屋で二人の帰りを待っているのだから。