異国のドランカー

 簡素なドアを開けるとすぐにその異変に気がついた。
 かわいた空気に混じって部屋中に酒気が濃厚に漂っていたからだ。
 陽気な声が奥から聞こえる。
「そーすけー、おっかえりー」
「千鳥、まさか酔っているのか?」
 宗介は空になって転がっている無数の瓶を手に取ると、予想通りラベルにはこの国の言葉でアルコールを示す表示がある。
 宗介は顔をしかめてしどけなく座り込んでコップを傾けている彼女、ではなく横にたたずむロボットをにらんだ。
 今日の《彼》の姿は、目の大きな小型のAS型ロボットだった。日本でみたロボット型電話をかなめが面白がってつくったものだ。アーバレストに合わせて青と白を基調としてあるが、ややデフォルメが強い。
「アル、なぜアルコールがここにある」
 宗介はアルコールを飲めない体だし、そもそも嫌悪しているといっても過言ではない。かなめも特に興味はないので、犯人は自ずと明白だった。
《この国の言語をミズ・チドリは理解しませんので、私が彼女の代わりにネットスーパーで買い物をしました。二人ともこの国ではアルコールは問題ない年齢です》
「年齢の問題ではない」
 かなめが酔うのは学生時代に経験がある。しかし詳細がなぜかおぼろげだ。思い出そうとすると妙な動悸がしてくる。とにかくよくない予感は確実だ。
 飄々とした態度にいっそ握りつぶしてしまいたいが、かなめの労作に手を出せないのを知っているのかアルは悪ぶれない。非常に腹立たしい。
《ミズ・チドリはなかなか外出できず、フラストレーションがたまっているようでしたので、気晴らしになればと》
「余計なことをするな」
《私の集めたデータによると適度なアルコールの摂取は心身によいとありました》
「どこのふざけたデータだ!クルツやマオをテストデータにいれるな。アルコールは脳細胞を破壊するだけだ」
 二人の言い争いをよそに、すでに出来上がっているかなめはよっぱらいの常で宗介にからみだした。
「どーせ、ソースケなんか、すぐあっちこっちいっちゃってすぐあらしを放っておくんらから。あらしだってショッピングしてかわいい服とか買いたいし、バザールらってぶらぶらしたいのら」
「それはわかるが人ごみは危険だ。君はただでさえ目立つ。俺が護衛するまで待てと」
「らってソースケはかわいいとかいってくれないんらもん!キョーコらったら似合うとかかわいいとか素敵だよカナちゃんとかいってくれるのら」
 喚いてから、友人の常盤恭子のことを思い出したらしい。かなめはふいに静かになってうつむいた。
「うう、キョーコ、あの子だけがあらしの理解者なのよ。会いたいよー」
 コップを片手に大きな瞳が涙がうかぶ。
 泣くのはだめだ、ひどくだめだ。宗介は動揺して慌てて肩に手をやる。
「ち、千鳥、落ち着け。日本にいけるように可及的速やかに手配する」
「やだー!いまあいらいの!」
 手を振りほどいて、とうとうかなめは膝を抱えてぽろぽろと泣き出た。
 宗介の頭はフル回転して日本に入国する手はずを検索する。時間をかければ完全に隠れて入国することはできるが、今日明日という事になれば実力行使もやむを得ないだろう。
《少々手荒いルートならば2ルートほど心当たりがありますが、予想では最低でも5人ほど口封じの必要があります。軍曹》
「お前は黙っていろ」
 鍵型の手をあげて提案しようとするアルを黙殺する。
 かなめはうえーんと子供のような泣き声をあげ始め、宗介はますますうろたえた。
「キョーコー!」
「千鳥、まず水を飲んで冷静になるんだ」
「だいらい、あんたはいつまでもちどりちどりって。かわいくないのよ。キョーコみたいにカナちゃんぐらい呼びなさいよ」
「なっ・・・」
 予想外の言葉に元エリート傭兵は文字通り固まった。
 かなめは涙でうるんだ瞳で恨みがましく上目遣いでにらんでいる。
「カナちゃんって呼んでみてよ」
「か、かなめ・・・」
「ちっがーう!!カナちゃんよ!!」
「・・・・・・」
《軍曹、ミズ・チドリの注文は容易だと思われますがなぜ黙っているのですか。この程度の要求で事が収まるならば応えるべきと判断します。この呼称になにか問題が?》
「お前は黙っていろといったはずだ!」
 しかし、アルの言うとおりだった。ただ少し砕けて呼びかけるだけだ。なぜこんなに言葉が出てこないのだろう。
関係性から言えば、友人の常盤恭子よりも恋人ともいえる関係の自分のほうがずっと近いはずなのに。
 そうしている間にもかなめはますます荒れてくる。
「やっぱり今すぐ日本にかえるんらから。ひこーきなんか衛星からシステムに侵入してかんらんにはいじゃっくできるのら」
「ち、千鳥まて!」 
 ふらふらとマシンに向かうかなめをあわてて後ろから羽交い絞めにすると、案の定かなめは暴れた。
「はなせーこの戦争オタクの戦争ばか!とーへんぼく」
「暴れるな、いたい!わかったわかったから、落ち着けちど・・・か、かなちゃ・・・」
「全然かわいくない。もっとキョーコはのーてんきに膝から崩れ落ちるよーな声でよぶの!」
「ぐっ・・・・・・」
 お下げの元同級生の甲高く甘えたような声を思い返して、いっそ殺してくれと思う。
《軍曹、体温が上昇しています。なにがあなたを躊躇させるのか説明してくれませんか。》
「黙れ!誰のせいでこんな目にあっていると思っている」
「うぐうぐ・・・きょーこぉ・・・・・・ごめんねぇ、あんたをあんな目に。あらしあらし・・・」
「まて千鳥、泣くな。その事は君が責任を感じる必要はないと何度も」
「カナちゃんらもん!」
「・・・・・・」
 かなめは向き合って宗介の鼻先にうろんな顔を寄せた。
 酒気がまとわりつく。不快なはずな匂いが、なぜか香しく思えてきた。
「もうこれからカナちゃんって呼ばないと返事しないからね!」
 ああ、アラーよ、なぜこのような試練ばかり俺に与えるのだ。
《軍曹、私の学習によるとあなた方は本来もっとフランクな呼称の間柄になってもよい関係です。どこに問題があるのか教えていただきたい》
「やかましい!!!」
「こら、きーてるのか、ばか」
「ちど……」
 細い腕が絡み付いて小さな唇が耳元によせられた。
「悪いみみはこれかー!」
   かぷり
「……っ!」
 耳から酒気が脳髄に届いたのか力がぬけていく。くらくらして、宗介はかなめをかかえたまま尻餅をついた。
 かなめは身を起こしてごそごそと宗介の体をまさぐり出す。
「待てちどり!なにを」
「ちろりじゃないってばー!あっやっぱり」
 かなめは宗介が忍ばせていた手榴弾やナイフ、銃をぽいぽいと放り投げはじめた。
「だめだ……あぶない」
 力が入らない。呼気から摂取するアルコールがこんなに威力があるとは。やはりアルコールはとんでもなく危険だ。
「なにが武器などいらないよ、これはなにかなぁ?さがらくーん」
「それは……!君の安全を守るためにしか使わない」
「うそつきぃ」
 かなめは完全に座った瞳で迫ってくる。
 なぜかこの目に既視感がある気がする。
 記憶の奥底から警鐘が鳴り響く。
「そーすけぇ、あらしのこと……」
 整った顔が目の前いっぱいにひろがり、宗介は全ての抵抗を諦めた。
 すー……すー……
「ち、ちどり……」
 その呼び掛けに応答はなかった。
《ムードを盛り上げる音楽などはいかがですか?》
「…………殺す」


 次の朝、目が覚めるとすでにかなめの姿はなかった。ベッドに運んだところまでは覚えているのだが、そのまま一緒に寝てしまったらしい。スペシャリストとしてはあまりにも情けない体たらくだった。
 アルコールは絶対に悪だ。宗介は想いを新たにする。
「あ、おはよう、ソースケ」
 備え付けのキッチンではかなめが朝食の準備をしていた。見慣れない調味料でも器用に使いこなしている。
 宗介はわざとらしく咳払いをして、意を決して声をかけた。
「お、おはよう・・・か、カナ・・・ちゃん」
 卵をかき混ぜていたつややかな長い髪の後ろ姿がとまり、ゆるゆると振り返った。
 かなめは宇宙人でも見るかのように目を見張り、耳まで真っ赤になっていく。ごまかすように顔をゆがめた。
「な、なにそれキモい」
「・・・・・・なんだと!」
「いきなりなに言い出すかと思ったら。頭どうかしたんじゃないの」
 顔を赤くしたまま、かなめは切り捨てる。
 宗介はいたたまれなくなり話を逸らした。
「う、もういい。それで日本にいく話だが」
「日本にいくの?やったーそろそろトライデント焼き食べたくなってきたのよね」
「君は常盤恭子に会いたいのではないのか」
「キョーコ?3日に一度くらいは衛星通信で話してるもん」
「・・・・・・」
「暗号はダナンでつかってたやつをちょっと陣高風にアレンジしたやつなの。あっはっは、おっかしいでしょー」
 かなめの次元の違う冗談は宗介にはさっぱり理解できなかったが、ひどく脱力して椅子に倒れこむ。
「小野Dがキョーコをバレバレな感じで誘ってくるんだって。絶対気があると思わない?くっつかないかなーどう思うソースケ」
「・・・・・・ああ、それは重大な懸案事項だな」
 虚ろな目で宗介は答えるしかなかった。
《今の時点は二人が恋人同士になる確率は67%というところでしょう》
アーバレスト姿のアルがしれっと答える。
「妥当なとこね。キョーコがどうでるかにかかってるわよね」
《肯定です》
 同級生同士の色恋の行方を盛り上がって話す二人を尻目に、宗介を深いため息ついた。


 朝食を食べた後、片付けながらかなめは横で皿を運ぶアルにこっそりと話しかけた。
 死んだ魚の目をした宗介がシャワーを浴びてくると席をはずしたので、いない隙をうかがっていたのだ。
「ところでアル、さっきのソースケ、その、どうしたんだろうね。いきなり……あ、あんな呼び方」
 突然、宗介らしからぬ呼ばれ方をしてかなめはその実かなり動揺していた。
 早鐘を打つ胸を気取られないよう、同級生の恋模様をハイテンションでペラペラ話してしまったのだ。
 アルは大きな丸い目をくるくると回し始めた。製作者である彼女にはそれが検索中の挙動だとわかる。
《あの呼称はミズ・チドリが昨夜軍曹に要求したものです。いえ、より正しく言うならば脅迫したものです》
「……は?」
《検索完了。少々お待ち下さい》
「え……?」

 アルに昨夜の記録データを見せられたかなめは、声にならない悲鳴をあげ、ものすごい勢いでデータと部屋を破壊すると、寝室に閉じこもってしまった。
《アルコール摂取時の人間の行動は予想を超えており、非常に興味深いです》
 かなめに放り投げられたアルは器用に立ち上がる。
 異常な物音に途中でシャワーから飛び出してきた宗介は、その言葉を聞いて血管が切れそうだった。
 なぜわざわざ蒸し返すのか、このクソAIは。
 閉じ籠ったかなめをどう宥めるか考えるだけでも気が重い。
 それより先に、今かなめが必死に探っているであろうウィスパードの能力の真価よって記憶を消されるかもしれないが。
「……いつか絶対に破壊してやる……」

《ご安心ください、私のデータのバックアップは常に完全です》